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なぜわたしは教会に所属し,その教えを信じるのか
クレイトン・M・クリステンセン、ハーバード・ビジネススクール教授

Clayton_Christensen01 年齢を重ねるに従い,末日聖徒イエス・キリスト教会に対するわたしの思い入れが深まっています。そこには二つの理由があります。一つは,わたしが組織としての教会に所属していることから来る理由です。教会が組織であることから,わたしには毎日の生活の中で,人々に助けの手を差し伸べる機会が与えられています。このことは,キリストの教えを単に信じるだけではなく,それを実践しようとするわたしの努力を後押しし,時には強いるほどの力を持っています。二つめは,教会で教えられている教義が真実であることを,わたしが信じていることから来る理由です。聖書とモルモン書を研究することを通して,わたしは,これらの書物にイエス・キリストの完全な福音が記されていることを,御霊の力を通して理解するに至りました。そして,これらの書物を学び,天の御父の御心を行う努力を傾けることにより,この確信はさらに深まりました。

より良い人生を個人として追求するのではなく,組織だった宗教である末日聖徒イエス・キリスト教会に所属する選択をしたのはなぜでしょうか。それは,キリストの教えの本質を理解し,実践するうえで教会が助けになるからです。この目的を果たすため,教会には専任の聖職者を置いていません。また,教えたり,世話をしたりする牧師や祭司を雇っていません。そのため,わたしたちは相互に教え合い,助け合う必要があります。わたしの考えでは,それがキリストのお教えになった,クリスチャンとしての暮らしの核となるものなのです。わたしは,専任の聖職者が雇われている教会に所属している友人のことを,気の毒に思うようになりました。彼らは,教会員の間で教えたり助け合ったりすることを特別な訓練を受けた専門家に「外部委託」することで,どれほどの喜びをふいにしているかに気付いていません。

数年前,あるニュース雑誌の記事を読みました。そこには,急激な春の訪れによって大量の雪解け水が押し寄せ,西部諸州が洪水に見舞われたことが書かれていました。掲載されていた写真には,地元の教会指導者からの電話でほんの数時間のうちに集結した,ソルトレーク・シティーの何千人というモルモン教徒の市民が写っていました。彼らは氾濫した水の流れをせき止めるために土のうを積んでいました。難局の最前線へと人々を配置する,まるで軍隊のようにみごとな指揮管理に対し,驚嘆の意が記事に記されていました。ところが,翌週のある記事の別の写真には,同じく洪水に見舞われた他の州のある町の30数名の居住者が写っていました。彼らは,州兵が土のうを積んでいるそばで,庭の椅子に腰掛け,本を読んでいました。その記事の執筆者は,その違いが末日聖徒イエス・キリスト教会の「組織としての効率性」によるものだと結論づけていましたが,大切な要素を完全に見逃してしまっています。何千もの人々がそうすることが本能であるかのように集まり,作業に取りかかりましたが,その理由は,彼らがモルモンだからです。彼らは世界中の100以上の国で,時を選ばず,毎週,そのような活動に携わっています。写真の例は何も特別なことではありませんでした。モルモンの典型的な日常なのです。

これを説明するために,過去数年の間にわたしが行った教会員としての一般的な活動を考えてみましょう。ボストン地区では,大学院生や若い家族の引っ越しが頻繁にあるため,何週かごとにリストが回覧されます。そして,次の土曜日に,ある家族の荷物の積み込み,あるいは荷下ろしを手伝える人がいるかどうかを確認するのです。わたしと子供たちはいつも名前を記入し,ほかの5-15人の男性や子供たちと2-3時間肩を並べて,引っ越しの手伝いをします。また,最低でも月に1回,必要に応じてさらに数回,お年を召したラテン系のご夫婦を訪問するように割り当てを受けています。奥さんは体調に問題を抱え,ご主人はアルコール依存症と闘っています。彼らは市内の荒れた地域にある,老朽化の進んだアパートに住んでいました。その年の間に,ある教会員が彼らのアパートを改修し,電気回線を修理し,じゅうたんを敷き直しました。また,ワシントンD.C.での彼らの特別な家族パーティーに,他の地域で暮らし経済的に苦労している彼らの子供たちが参加できるよう,旅費を出し合いました。毎週日曜日には,わたしは教会の託児クラスで1歳半から3歳までの14人の子供たちを2時間世話しました。両親たちが安心して日曜学校に参加できるようにするためです。妻のクリスティーヌも同じように働きました。彼女が受けた割り当ては,出産した人や病気の人がいるとの知らせを受けたときに,1日,1週間,あるいは数か月間,彼らの手助けをしてくれる人々を電話で募ることでした。すぐ食べられる食事を運んだり,掃除や洗濯をしたりして助けてくれる人を探すのです。

前の段落で述べたことで重要なのは,わたしたちの経験が何ら特別なことではないということです。会員のだれもが同じように奉仕活動をしています。単に割り当てを待つのではなく,自分から人助けの機会を探しています。わたしたちはいつも与え,そして受け取っています。例えば,わたしたちが家を手狭に感じるようになってしばらくしたころ,それまでよりも大きな家を見つけ,引っ越すことにしました。そこで,引っ越しのトラックの積み下ろしを助けてくださるようにお願いをしました。その朝,助けに来てくれた人の中にはミット・ロムニーがいました。彼は現在のマサチューセッツ州知事ですが,そのときは米国上院議員選挙に落選したばかりのときでした。彼は鎖骨を骨折していましたが,ゆっくりと家とトラックを往復して片手で持てる荷物を運んでくれました。モルモン教会にはいつもこのような心があります。強きが弱きを助け,弱きが強きを助けますが,だれが強く,だれが弱いかなどと考える人はどこにもいません。こうして,驚くほどの相互の愛情が築かれます。助けを必要としている人に手を差し伸べることで,彼らに対する愛と尊敬の気持ちがはぐくまれるのです。

わたしの子供たちは親であるわたしと妻だけが育てたのではなく,すばらしい人々の集う共同体で育ちました。世界の第一線で活躍する物質科学者,ハーバード・ビジネス・スクールの学部長,足病医,そしてアメリカンエクスプレス社の副社長などの肩書きを持つ人々が,息子たちのボーイスカウトの隊長たちでした。このような資産家や地位の高い人々が,無私の心で息子たちに応急手当や市民権について教え,雪の中でともにキャンプをしてくれました。子供たちは高校生のころ,「早朝セミナリー」に参加しました。これは,平日の午前6時30分から7時15分まで教会員の自宅に集まって聖典の勉強をするクラスです。教える女性たちは,宗教学や神学の学位を持っていたわけではありません。芸術,法律,看護,あるいは文学などを学んできた人たちです。彼女たちはクラスの前日に数時間かけて準備をし,翌朝眠たげな高校生が福音の原則をより深く学び,正しいことを行うという固い決意を持って学校に向かえるように知恵を絞ります。クリスティーヌとわたしは子育てをしませんでした。無私の精神を持ったクリスチャンの共同体が彼らを信仰深く,有能な大人になることに大きな役割を担ってくれていました。このような男性や女性に感謝の意を表すると,彼らは例外なく,奉仕の機会が与えられたことへの感謝を述べるだけです。奉仕をすることで,彼らが成長できるからです。

専任の牧師を雇わないため,教会におけるすべての説教やレッスンは老若男女を問わず普通の教会員が行います。すなわち,わたしたちはお互いに学ぶ機会をいただいているということです。個々人の人生において神に従おうと懸命に努めている,あらゆる階層の人々からです。事実,わたしのこれまでの経験では,イエス・キリストの福音の最も深遠な事柄は,社会の基準から言えばそのような奥深さを有しているとは言い難い人たちから学んできました。例えば,10年ほど前のこと,わたしはボストン地区の大学生たちの集う教会で監督として働いていました。いわば素人牧師です。ある日曜日の集会で悔い改めについての話をするよう,大学2年生に割り当てました。いまだに彼の話を忘れることができません。「わたしたちは時として,悔い改めがゆっくりと進むものだと考えがちですが,それは間違っています。変化は一瞬です。時間がかかるということは,変化していないということです。」そのときまで,わたしはある悪い習慣を克服しようと努力を重ねていましたが,すぐその場で「変化しない」ことを捨て,行いを改める決意を固めたのです。この教会以外で,若く,経験の浅い学生が,それほどまでに深遠な教訓を監督にもたらしてくれるところがあるでしょうか。

上述のようなモルモン教徒が,ほかの宗教を信じる非常にたくさんの人々よりも愛情に満ち,無私の気持ちが強く,優秀であるということではないと固く信じています。しかしながらほかと異なるのは,奉仕されるのではなく,奉仕をするという特質を生かす環境にわたしたちが置かれ,行動していることです。そして,それを生かすことで,さらにそれがわたしたちの身に付いていきます。

成功した裕福な人々には並はずれた才能やすばらしい心根を持つ人々も多いですが,彼らを困らせている悩みの一つは,彼らは,同じように成功し,裕福である人々とともに過ごす時間が多いということです。そのために,助けの必要な人々と接する機会がありません。クリスチャンとしての生活の基盤であるモルモン教会に感謝を感じるのは,わたしが助けの手を差し伸べることのできる人々と接する機会をいただいていることです。以前に友人にこのように話したことがあります。「キリストが教えてくださったとおりに生活を送りたいとほんとうに考えているのであれば,モルモン教会に来てください。わたしたちの信じていることを信じる必要はありません。しかし,もしもキリストの教えを実践したいなら,本来の教えはここで実践されています。」これが,わたしが末日聖徒イエス・キリスト教会に所属することを決めた理由です。

次に,なぜわたしが教会の教えを信じているのかということについて述べたいと思います。わたしはすばらしいモルモン教徒の家庭に生まれ育ちました。成長するに従って,教会の教えを信じない理由がほとんどないと感じるようになりました。両親は教えに対して深い信仰を持っており,彼らの模範と励ましは力強いものでした。わたしは両親に信頼を寄せ,彼らがイエス・キリストの福音を信じていることを知っていました。しかしながら,自分自身でそのことを知ったのは24歳になってからでした。

わたしはイギリスのオックスフォード大学でローズ奨学金を受けました。それまでのように守られた環境から遠く離れて数週間暮らしたときに,新しい環境ではモルモン教の教えに従うことが非常に不都合だと感じました。この記事の前半部分で述べた事柄をオックスフォードのモルモン教徒として行うことは,同じ奨学金を得た人々がオックスフォードでの経験を価値あるものとしてきた数々の事柄に参加する機会を奪ってしまうことを意味していました。そのため,モルモン教の教えが疑いなく真実であるかどうかを,自分自身で確かめる時が来たと判断しました。

わたしはそれ以前にモルモン書を何度か読んでいました。正確には7回ですが,いつも両親や教師から課題として与えられたために読んだだけでした。しかし,このときには,その書物が真実なのかまやかしなのかを確かめるという目的を持っていました。そのため,夜11時からの1時間を,クイーンズカレッジの冷えた自室の暖炉の脇でモルモン書を読む時間として充てました。毎回ひざまずき,声に出して祈りました。この本が神の真理であるかどうかを知るためにこの書物を読んでいることを,毎晩神に訴えました。そして,この質問に対する答えを必要としていることを伝えました。もしも真実でなければ,この教会のために時間を無駄にしたくありませんでしたし,ほかの大切な事柄を探求するつもりでいたからです。しかし,もしも真実であるなら,人生をかけて教えに従い,ほかの人々も同様にできるように助けていくと神に約束していました。

そして,椅子に腰掛け,モルモン書を読みました。1ページずつ立ち止まり,書かれていたことについて考えました。そのページの教えが,人生を送るうえでどのような意味があるかを自分に問いかけました。それから再びひざまずき,この書物の真実性を教えてくださるようにと声に出して祈りました。そしてもう一度腰掛け,ページをめくり,残りの時間,同じことを繰り返しました。毎晩このように続けたのです。

こうして何週間かたった1975年10月のある晩,祈ってから椅子に腰掛け,本を開くと,驚嘆すべき御霊が部屋に満ち,わたしの体を包んでいることを感じました。それほどに強い平安と愛の気持ちを感じたのは生まれて初めてのことです。涙があふれ出し,それを抑えようとは思いませんでした。そのときわたしは,それまでの人生で感じたどのようなものよりも強力な理解の源泉によって,自分の手の中にある書物が真実であることを知ったのです。涙で視界がぼやけていました。しかし,本を開き,再び読み始めると,それまでのわたしには分からなかった,わたしたちのための神の計画の明瞭さと偉大さを行間に見ることができたのです。その時間の間,御霊がわたしにとどまりました。そして,その後毎晩,モルモン書を手にして祈り,椅子に腰掛けると同じ御霊が訪れました。この経験を通して,わたしの心と人生が永遠に変わりました。

このことは,地平線に向かってできる限り遠くを見渡し,見える範囲の事柄だけで十分だと満足してしまっていたかのようです。そのような気持ちでモルモン書を読み始めましたが,古い地平線の向こう側には,わたしたちが何者であり,神がわたしたちのために何を準備してくださっているかということに関わる,すばらしいものや真理がもっとたくさん隠れていることが分かりました。わたしは,自分が何も分かっていないということを,分かっていなかったのです。

わたしはオックスフォードを訪問するのが好きです。世界で最初の大学の美しく,歴史的な町並みには学生や観光客があふれていますが,わたしにとっては神聖な土地です。実にモルモン書が真実であること,そしてイエスがキリストであり生ける神の子であるという,根幹となる答えを受けた場所なのです。そして,その土地で,確かに神がわたしの天の御父であられることを知りました。わたしは神の子です。神はわたしを愛し,わたしの名前さえもご存じです。また,ジョセフ・スミスについても学びました。モルモン書を翻訳し,末日聖徒イエス・キリスト教会を組織したその人は,ペテロとモーセが預言者であったと同じように,神の預言者でした。オックスフォードを訪問し,わたしの心に宿ってこのような答えをもたらしてくれた,美しく力強い御霊を思い起こすことが好きです。

大人になってからの生活では,数多くの奇跡を目にし,自分でも経験をしてきました。聖典で言うところの「御霊の賜物」によるものです。神の力によって病人を癒しました。異言の賜物で語ったこともあります。永遠に関する示現を見るという祝福にもあずかりました。そして,知っておくべき将来の出来事が明らかにされたこともありました。これらはまさに神からの賜物であり,わたしの人生にとって偉大な祝福です。しかし,このような出来事がわたしの信仰や思い,そしてイエス・キリストに従うとの決意に及ぼした影響について考えると,オックスフォードでモルモン書とともに過ごした夜更けの時間の重要性と力強さの前では色あせたものに感じてしまいます。

この出来事は,もう四半世紀も前の話です。それ以降,わたしと家族がこの地上にいる間に神が何をするよう望んでおられるかをさらに深く知るために,体系立ててモルモン書と聖書を学び続けているとお伝えできることを誇りに思います。わたしは自分が学んできたことを人々に伝えるために非常にたくさんの時間,全力を傾けてきました。そして,キリストが望んでおられる方法で人々に奉仕してきました。オックスフォードでわたしの心に染みわたったと同じ御霊が折々訪れることをお伝えできるのも大変な喜びです。そのようにして,わたしが力のかぎりに進もうとしている道が,父なる神とその御子イエス・キリストがわたしに望んでおられる道だということについて,再度確信を与えてくれます。このことが,わたしに深い幸せをもたらしてくれています。これが,わたしがこの教会に所属し,その教えを信じている理由です。皆さんが,同じように幸福と真理を探究されるよう,お勧めいたします。

著者の許可を得て翻訳・掲載しています。

Posted September 2011